2005年04月24日

底辺なもの番外編3 底辺ズ的ブランド考

今日はとてもよい天気。

こんな日は特に用事がなくても
とりあえずおしゃれして
カフェにでも出かけたくなるのが底辺ズ的週末というものですが
皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて今日は、ブランドものを買う行為について
私なりの、多分に極端な持論を展開してみようと思います。
あまり理解してくれる人が多くない気もしますが
ここは寛大にお願いします。

ここでいうブランドものっていうのは
いわゆるスーパーメゾン(ヴィトンやらグッチやらディオール…?)を
さすことにします。

お店には商品があって、商品があるからには
それを作る人がいて、その人のつくるための労力だったり
商品の流通に関わる人たちの労力だったり
売る人の労力だったり、
あとはそれぞれの利益が上積みされて
商品の金額が決まります。

モノを買う、という行為は
商品に関わる人たちへの報酬になっていくわけですね。

(ものによっては作り手=売り手っていうことも
あるでしょうが、まぁここは一般的、ということで)

ブランドものっていうのが
なんで高いかっていうとやっぱり作り手側のコストはもちろん、
あとは流通やら売る側のコストも他のものよりも高めなんだろうと思います。

作り手側のコストは、
材料だったり人件費だったり、作る場所代だったり、
もうすべてが高いのでしょう。
ブランドのクオリティを維持する為にも、
材料費や高い技術のためのお金には
投資を惜しまないはずです。

デザイナーの描くデザイン画一枚にしても
名のあるデザイナーであればあるほど、
貴重で高級に違いありません。
そんなデザイナーのデザインした商品であれば
高くないはずがない。

売り手側のコストも、
ブランドの質を貶めないように、
ディスプレイにお金をかけたり
ちゃんと店員さんに教育がされていたり
高い給料が払われていたり、いろんな理由でかかっているのでしょう。

(ごめんなさい、商品が売られるまでの経緯については
 まったくの素人なんで全部想像です。)

そういうのが全部コミで、ブランドものの値段が決まっているわけです。

さてそんな風にして決まる値段に対して
我々消費者はお金を払う。

このお金は、これらの関わる全ての人たちの利益となりますね。


…うーん、なんだかマジメな話でいやになっちゃいますが
これも底辺ズ的消費生活の基礎知識、とりあえずがんばります…


では消費者側からはどうでしょう。

値段のついている商品に対してお金を払って
消費者が得るもの。それは物理的には商品ですね。

はい、底辺ズ的にはここからがミソです。

お金を払って他に得られるものがあります。
それは直接的にはお店からのサービス、接客ですね。

間接的にいえば、その商品が店頭に並んでいる事自体
商品に従事する人たちのサービスの結果なのですけども。

まぁとにかく

商品の代金=商品に関わる人たちのサービスの総額

ともいえるわけです。

つまり、商品に対してお金を払うということは、
いろんな人に対してサービスの代金を払っている事になる。

その商品が気に入れば気に入るほど、
「この商品をここに並べてくれて、出会わせてくれてありがとう」
なんて気持ちが湧いてくるというもの。
(おおげさすぎますか。私だけでしょうか。)

携わる全ての人に、感謝の気持ちを表す為にも
特に気に入った商品に関しては、
できるだけ定価で購入したいと常々思っていたりします。
それが作り手にたいする礼儀だと。

前にも書きましたが、セールの札のかかった商品というのは
それだけで悲しくなってしまう。
せっかくのブランドもの、そのもののオーラすら奪ってしまう。
これは見ていられません。

さてここでブランドものの話に戻ります。

日本人がブランドものを買いあさるようになって久しいですが、
パリのヴィトンに列をなす、Gパン&スニーカーの学生たちを見たときには
(卒業旅行シーズンだったもんで)
同じ民族だと思われるのが激しく嫌になりました。

それは凱旋門の上で
大声でしゃべりちらす大阪人のおばちゃんを見たときと
同じくらいの嫌悪感。

世に言うブランドものを購入する人が、
どれだけそのブランドについて知っているでしょうか。
もちろん、ただバッグの種類の名前が分かるというだけではないです。
本当に好きなら、そのバッグがどのような人によってデザインされ、
どのように作られ、店頭に並ぶに至ったのか。

まぁ知らなくても買ったって良いんですけど、
サービスを値段分享受するには必要な基礎知識ってあると思うのです。
店員さんとエスプリの効いた会話を楽しむ。なんてことも
大事なサービスのひとつでしょう。(勝手な想像ですけど)

ましてやディスカウントして買おうなんて発想は起こらないはず。
ただ安く手に入ればいい、というのは身勝手な発想だと思うのです。

世間で言うところのスーパーメゾンの発祥地であるフランスでは、
街を歩いた感触だと
ブランド物を身につけるのは妙齢のマダムと相場が決まっています。
そうでなければお金持ちのお嬢様か芸能人か。

ブランドものの価値とサービス、それを享受できるレベルに到達しなければ
ただ、身に付けているだけではアンバランスだということが
文化的に、極端にいえば遺伝子的に浸透しているんじゃないかと思います。

日本にもそういう文化があったはずなのですけども…


まぁとにかく、すぐにブランドものを質屋に入れたりする人は
商品の代金に何が含まれているかなんて思いを馳せた人はいないのでしょう。
価格はバッグの札についている値段でしかなくて、
それ以上でもそれ以下でもない。

それはあまりにも貧困な考え方だとは思いませんか?


・・・今回も何様!?と思う理論を展開してしまいましたが、
実際ヴィトンやらグッチやら、その手のブランドものは
自分にはまだ持てない、と思っています。

私に取っては
誰が見てもそのメゾンの作品だとわかるものを身につけるってことは
メゾンの歴史と気品に見合っている自信がなければできないこと。
例えばヴィトンを持っているのに、
極端に言えばあとはユ○クロやG○Pでコーディネートするようなマネは
たぶんできません。

…そこまでおしゃれに着こなす自信がないだけといえばそうなのかも…
とにかくまぁ、全体的にそれなりの格好をしないといけないような
気がしてしまうのです。

※あの、決してアンチユ○クロ、G○Pってわけじゃないです。
 実際アイテム持ってるしお金ないときには重宝しています。

そういえば私の持ってるバッグの中には
ふつうにブランドものバッグが買えそうな値段のものも
ありそうな気がしますが…

自分がその値段に見合う内面、外見かどうかは
自問自答していたりします。
ここは、ほんとうに難しいところです(;_;)

どうしても外見だけ良ければOK、という発想になりがちですが、
それだけでは空虚なだけ。
知性、教養も伴わなければイカン!と常々思っております。
思っているだけでそうそう身に付くものではないですけれども、
せめて自分の知的好奇心には正直でいたいものです。

それにしても財布くらい
ブランドものとは言わないまでも
もうちょっとましな財布にした方が良いのでしょうか。

今使っているのは、とある雑貨屋さんで買った
ショッキングピンクのフェルト製がま口財布。(1600円)
非常にキュートなので手放せないでいます。

財布探しに行こうかな…
posted by 底辺ズ隊員 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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